「世界は充足感に満ちている」
今までこのテーマで何度もこの記事を書いてきました。
しかし、うまく自分の中で昇華出来ないテーマです。
今回は自分が「充足感」を体験したことにより気づいた事です。
僕らはもともと持っていた。
それを忘れていただけなんですよね。
「世界は充足感に満ちている」誕生日を通して僕が気づいた事。
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
僕の中の課題「充足感」と「不足感」。なかなか抜けられない課題です。
素敵な誕生日をすごせました
先日5/23は僕の誕生日でした。
いろいろな人からお祝いの言葉をいただきとても嬉しかったです。
この日は奥さんも仕事が休みで二人でディナーに出かけました。
銀座の「寿司さいしょ」さんで豪華な食事。
美味しい料理と美味しいお酒で幸せな時間を堪能できました。
そして、最後に奥さんから手製のメッセージ集。いろいろな僕の長所が書かれていて思わず号泣。
素晴らしい一日。幸せに満ち足りた日でした。
これが充足感なんだなと改めて実感することができました。
充足の日から一晩明けた
そんな誕生日から一晩あけました。翌日からは通常の日に戻ります。
と言うとこは今まで通りの一日がやってくるんですよね。
でも、なんかいつも違う朝を迎えられました。
前日の充足感がまだ残っていました。
そんな時ふと考えたんですよね。
昨日は誕生日だったから充足してた。
でも、今日も充足している。
この充足感はいつか不足感になってしまうのか?
朝風呂に浸かりながらそんな事をぼーっとかんがえていました。
シャワーを浴びた瞬間ふと天啓がおりてきました。
その天啓とは
「もともと世界は充足感で満たされている。それに僕が気づいていないだけ」
と言うことです。
世界は充足感で満たされている
「世界は充足感で満たされている」
といわれても言葉ではなんとなくわかっていました。そして、このブログでも何度もこのテーマで書いてきています。
でも、実感がもてませんでした。
と言うのも現実問題でいろいろ足りないんです。
- ブログのPVだったり
- 欲しい物を買うためのお金だったり
- クレジットの支払いのためのお金だったり
いろいろ足りない物が見えていました。
足りない世界、すなわち「不足感」に支配されていたんですよね。
充足感の世界に行こうと思っても、スタートが「不足」だったらなかなか充足感の世界に気づけない。
ただ、それだけだったんです。
でも、昨日僕は誕生日でいろいろな人からお祝いを貰った。美味しい寿司も食べれた。奥さんからプレゼントももらえた。
- 昨日体験したすべての物事がウソや夢幻だたのか?
- 今日になったら全て泡のようになくなったのか?
- そして、日が経てばこの状態から減っていくのか?
いや、そんな事はありません。
一日経った僕の中ではしっかりとあります。あの感覚は忘れる事はないでしょう。
実は本当はこの充足感ってもともと持っていた物なんですよね。
それをただ、忘れてしまった。それだけなんです。
今までそのことに気づけていませんでした。
充足感に満ちた世界に気づいてからが本番
僕は39年間ずっと「不足感」に支配されてきました。
この感覚が染みついているためすぐに「不足感」が僕を襲ってきます。
充足の世界を知った以上ここからが本番です。
自分の現実を「不足」から「充足」に買えていく必要があります。
これはもうひたすら練習しかないですね。
自分には「ある」と決めて進むしかない。
僕自身が試される試練でもあります。
ちゃんと向き合って行こう。
今日のポイント
以上、誕生日を経て「充足感」の世界に気づいたと言う話でした。
不足感があるとどうしてももっともっととなってしまいます。
そうなるともっと「不足感」の状態がやってくるんですよね。
まさに引き寄せ。
これらかは「充足感」を思い出して世界観の上書きをしていきます。
充足感と不足感について書かれた本
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