先日食事中に店員さんが一方的に謝罪している場面に遭遇しました。
その謝罪を見ていて違和感強く感じました。
なぜ違和感を感じたのか?
いろいろ考えてみたいと思います。
とりあえず謝る事につての違和感
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
今回は僕が感じた違和感について書いてみたいと思います。
昼食時に見かけた出来事
先日ですが、とあるお店で食事を取っている時遭遇した出来事です。
年配の男性がお店の人に対して「来た物」が違うとクレームを言っていました。
そのお店は食券制。店は間違えてはおらず、買った食券の物を提供していたようです。
つまり、年配の男性の勘違いでした。その後男性は勘違いに気づき納得していたようです。
ただ、その時対応した店員さんの行動が少し気になりました。
どんな行動をしていたのかというと「過剰なほどに謝っていた」のです。
その年配の男性に終始「申し訳ありません」と謝り、「作り直します」まで言う始末。
その男性は申し訳なさそうにごはんを食べていました。
僕が感じた違和感
僕が「なんかおかしいなぁ」と違和感を感じたのがこの店員さんの過剰な謝罪。
お店は男性に対してなんら問題行動はしていません。
むしろ、間違えたのは男性の方。
なのに、店側が悪いような一方的な謝罪。
これは、もしかしたら無用なトラブルを避けるため、
あらかじめそうマニュアルづけられているのかもしれません。
とりあえずまずは謝っておくことでその場を納める。
ただ、どうしても悪くないのに「謝る」にモヤッとした物を感じました。
とりあえずで謝ってないか?
この出来事を見て思わずはっとしました。
自分もよく考えると自分は悪くないけど謝る事「とりあえず謝る」をやってしまっているなと。
なにかあったとき、自分が悪いはずではないのにまずは謝ってみたり。
不機嫌な相手がいたら、とりあえず謝って相手のご機嫌を取ってみたり。
「謝る」事をその場しのぎの道具として使っていることがありました。
思い返してみると生活の場面で結構ありますね。
悪くないのに自分を悪いことにしてその場を納める。
そんなことをしていれば自己肯定感もだだ下がりしますね。
このとき相手側ってどんな気持ちなんでしょうか?
謝られて逆に申し訳なさそうだったり、訳もなく謝られて疑問を感じたり、怒りを感じたり。
受け取り方はいろいろあると思います。
ただ、「取り繕ってる感」をバリバリ感じているなと。
また、謝っている側の一方的な押しつけに近い部分も感じます。
もちろん、申し訳ないことをしたらまずは「謝る」のは当然だと思います。
ただ、とりあえずで謝ったり、過剰なほどの一方的な謝罪は、
取り繕ってる風に見えても仕方ですよね。
そんなことを考えさせてくれるいい機会でした。
自己肯定感とうい観点から見ても自分を下げる行為はあまり好ましくなんですよね。
僕自身も「謝る」の使い方を意識して生活していければなと。
今日の一言
日々の生活の中に学びってたくさんありますね。
日々の中で感じた反応・感情・疑問・違和感などを解き明かしていくと
いろいろな学びに繋がります。
感じたモノについて考えるのもいいのかなと。
自己効力感についての本
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