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誰しも心のクセってありますよね。
僕には他者と比較して自己否定をしてしまうクセがあります。
では、なぜそうなってしまうのか?
自分なりに自己考察してみました。
すると3つの鍵が出てきたんです。
他者と比較して自己否定をしてしまう僕。その思考の自己考察
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
今回は僕が悩まされる自己否定について自己分析してみました。
他人のすごいを見て自己否定する僕
他の人がすごい結果を出したのを見た時、自分がダメで価値がない人間だ。
そんな事を考えた事は無いですか?
僕はめちゃくちゃあります。
だって、これは僕自身のことですから。
なぜそんな事を考えてしまうのか?
「他人のすごい結果」と「自己否定」
全くもって無関係ですよね。
いろいろもつれにもつれたビリーフが鍵になっていると僕は考えています。
このビリーフをひもとく為には3つの鍵があるようです
- 他者との比較の謎
- 自己否定の謎
- それを繋ぐ謎
他者との比較の謎
そもそも、なぜ他人と比べてしまうのか?
奥さん曰く他者との比較は理解できないとの事。
普通に考えればそうですよね。
でも、僕は比較してしまう。
僕自身もなぜそうなっていたのか正直わかりません。
考え得るのは誰かと比べる事により自分の価値を見いだしていた。
これは、おそらく成長の過程で身につけたビリーフなんですよね。
この謎が解けると問題解決に近づく感じがします。
「自己否定」の謎
では、なぜ僕は自己否定してしまうのか?
逆説的に的に考えるとどうすれば「自分に価値があるのか?」についてかんがえてみました。
答えはシンプルです「褒められること」。他の人から評価してもらうこと。
この原因は親、特に母との関係でしょう。
母は僕の小さい頃から忙しく働いていました。
父は入院しておりいませんでした。
なので、一人で家事やら食事などをやらないといけない状況だったんですよね。
家のことをやれば母から褒められていました。
つまり、褒められることは母に認められるという事。
従って、
「褒められる」=「自分に価値がある」
という思考を身につけていた。
ということですよね。
それが母からだけでなく他の人にも適用されたんですね。
誰かに褒めて貰えることにり「自分に価値がある」。
逆に褒められない「自分には価値がない」。
という思考になっていったんですね。
他人が褒められることで自己否定する理由
では、最後に「他者との比較」と「自己否定」がくっついてしまったのか?
一見全く関係ないこの二つ。繋げるキーワードがありました。
気づく切っ掛けとなったのが「うらやましい」という感情。
僕自身結構この感情に揺さぶられます。
誰かが楽しい事をやっていると「うらやましい」と思ってしまう。
これは幼い頃に自分ができな事を他の人がいとも簡単にできてしまった。
その時抱いた「うらやましい」の感情が未だにこびりついている。
そんな感じです。
この「うらやましい」のおかげで接着剤のごとく無関係の2つがくっついてしまったのではないかと。
結果こう言う思考が生まれてしまった。
他の人すごいをみる。
↓
いろいろな人から褒められる。
↓
うらやましい
↓
僕もがんばっているのに褒められていない。
↓
褒められない自分は価値がない。存在してはいけない。
これがこの思考のロジックなのかなと。
結局僕はどうれば救われるのか?
今回出てきた3つの鍵。
これらをどうすれば解決できるのか?
一番解決しやすいのが自己否定の部分かなと。
これはただ単に「認めてもらいたい」それだけなんですよね。
しかも、一番認められたい人物にみとめてもらえばいい。
それが「母」と言うことになります。
どうやら、僕の中のインナーチャイルドはお袋に認めても貰いたかった。
なので、改めて自分で僕の中に居るインナーチャイルドを認めてあげたいと思います。
そして、残り二つ。
「他者との比較」と「うらやましい」
これはこれからの自己探求の鍵になります。
しっかりと見つめて解決していきたいですね。
今日のポイント
以上、自分の中の自己探求に対する自己考察でした。
今回の自己分析かなりしんどかったです。
やっぱりコアの部分に近いビリーフなのでかなりえぐることに抵抗を覚えました。
しかし、自分でケアしていかなければイケないこと。ちゃんと向き合いたいですね。
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