今まで続けてきたことをストップさせる。そんな経験ありませんか?
それにはとてつもない恐怖みたいな物があります。
僕にとってはブログの更新がそれでした。先日その更新を自らの手で止めてみました。
やってみると、僕は僕だし、ブログはブログなんですよね。
これも一種の囚われ。少し気が楽になりました。
1,255日ブログの更新を続けてたき僕が止めてみた。僕は僕だった。
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
今回は自分のとらわれについて一つ解き放たれたというお話です。
ブログの更新を止めてみた
つい先日となる7/4。僕はブログを更新しませんでした。
僕は2015年1月25日からブログを始めて3年間、自ら更新をしないという日はなかったんですよね。
(サーバーの物理的な問題や、更新ボタンの押し忘れで更新し損ねたことはかつてありましたが(笑))
どんな時でも記事を用意し、熱でしんどいときや、鬱でしんどいときも更新を続けてきました。
日数で言うと1,255日。ひたすらに更新をし続けていました。
そんな僕がその歩みを止めてみました。
何が起こるか自分の中を観察してみましたが、更新を止めても僕は僕だった。
それがわかりました。
僕は変わらず僕だった
なぜ更新をしなかったのか?
理由はただ一つです。思うようにかけなくなっていたから。
もちろん更新しようと思えばできました。ネタもしっかりあるし書こうと思えばすぐかけました。
それでも、あえて更新をしませんでした。
なぜなら、止めてみることで何かしらの変化が起きるのではないか?
と思ったからです。
実際に止めてみると「僕は僕でした」。
ただ、そう感じただけです。これに変わりはありません。
そして、ブログも変わらずブログだった。いつも通りアクセスはありました、収益も上げていました。
唯一起きた変化それは、「何が何でも更新しなければいけいない」そういう妄執に近い使命感がそげ落ちたような感覚だけでした。
更新を自ら止めたことでブログとフラットな関係になれた
今回ブログの更新を止めたことで気づいた事は「ブログ」とフラットな関係になったと言うこと。
今まで僕はブログに助けられ、ブログを成長させることが全てと考えてきました。
その為に行動したり学びをしたりいろいろいろやってきました。
今まではどちらかと言えば僕自身がブログの従者になっていたんです。
ブロガーとしてはブログの為の行動は当然です。ブログを読まれるため、ブログを面白くするため何でもする。
本当にこれは正しいのか?ちょっと行き過ぎじゃないでしょうか?
ブログの為に何でもするなら、その自分は何のために生きるのか?
なんだか、ブログに囚われているように思えてきました。
まるで会社員と一緒ですよね。会社にいたとき僕は「自分がいなければ会社は回らない」。そう思い込んでいました。
果たしてそうなのか?
会社は僕が休んでも周り続ける。だって、社長が居なくなっても会社はなくならないんですよ。
ブログも同じで1日書かなくてもアクセスはあり続ける。
全く変わりませんよね。
それに気づくために敢えてブログを「更新しない」という策をとりました。
自分自身のこだわりを手放してみたわけです。おかげで結果少し重荷がとれました。
無理に書かなくてもいい無理をしなくてもいい。そんな風に今は信じています。
変化の真っ最中で僕が出来る事
今の僕の中では大きな変化が訪れています。
それは、今まで生きてきた人生観をガラリと変えるほどの変容。
そんな中で出来ることはただ一つです。
ブログを始めた頃の気持ちに立ち戻って「自分が発信したいこと」を書く。
これだと考えます。
たしかに、ブログで収益を上げたい。ブログのPV数をあげていきたい。
そういう思いは今でもあります。
でも、そこだけに縛られてしまうと、得意でもないことや興味ないことを書き続けなければいけない。
それはもったいない。自分で語れることがあるならそれについて語る。これしかないでしょう。
そして、これからの僕はブログと共にある。
従者にはならず僕が成長しブログも成長する。そんな姿を目指していこうと改めて決意しました。
今日のポイント
以上、ブログの更新を止めてみたという話でした。
今までの僕はブログにこだわりがありすぎました。
たしかに、僕はブログに命を救われています。なのでブログに恩義を感じているのは間違いありません。
しかし、もっと対等な関係がいいですね。
好きな事を語り、好きな事を発信していく。やはりこれが良い。
これからもっと模索していきます。
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