僕は今まで正義感があるとおもっていました。
しかし、その正義感は正義感ではなかったのかも。
単に嫌なだけだったんですよね。結局原因は自分なんです。
そう改めてきづかされました。
僕の正義感の正体。原因はやっぱり自分。
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
今回は自分の正義感についてです。
僕は正義感があると思っていた
僕は正義感があるとおもっていました。
日々生活する中でルールを守らない人っていますよね。
割り込みとか、信号無視とか、飲食禁止のエリアで飲食してい人。
僕はそんな人達をみるといつもイライラしていました。
- 「ルールなんだから守れ!」
- 「危ないから注意して」
- 「こっちが先に並んでいたぞ!」
伝える事はありませんが心の中でそうつぶやくことが多かったです。
これは全部正義感からくる物で自分は正しいんだ!
と今まで考えていました。
実はそうじゃないのかも知れません。
この正義感は正義感ではなく、単に自分の平和が乱されるのが嫌だからイライラしてしただけでした。
僕の正義感は違う物だったのかも
なぜそう感じたのか。
きっかけは先日ブログ仲間の琴市しずかさん記事を読んだ時でした。
感じた事があったんですよね。あっ、僕も心当たりがあると。
正義感による怒りで拳を振り上げる人の胸の中にあるもの、私の場合 | 自分の心を殺してはいけない
この記事では、しずかさんの体験から正義感の裏にある物について書かれています。
もしかして、僕の感じてきた正義感の裏には「私的な平和が乱された」という思いがあったんですね。
そう考えた瞬間。いろいろ腑に落ちてきました。
結局自分が原因なんだなって。
最近起きた出来事
最近イライラした2つのことがありました。
1つ目のイライラは目の前を走っていた幼稚園バスがお迎えのため急に停止した。
いきなり止まったのでぶつかりそうになってしまったんですよね。
幼稚園バスなのに急停止はあぶない!ぶつかってしまって乗っている子供が怪我したらどうするんだ!
と思いイライラしてしまいました。
2つ目のイライラです。家の近所にある一時停止する場所での出来事です。
停止線に沿って停車したときに後ろの車からクラクションを鳴られました。
これには思わずイラッ。一時停止を守っているんだから煽られるいわれはない!
と思ってしまいました。
この2つイライラの状況は違います。
しかし、よくよく考えてみるとイライラした理由は同じでした。
それは「僕の安全運転の邪魔をされた」ということです。
幼稚園バスは急停止されてぶつかりそうになった。一時停止はクラクションを鳴らされた。
この2つ事実が安全に運転したいという「僕の平穏」を崩したと思ったのでイライラしてしまった。
邪魔されたくなかったんですね。
原因が自分自身とわかれば、後は自分の中で結論を出せばいいだけです。
僕自身の正義感との対話
今回僕が今まで感じてきた正義感について、新たな認識が出来ました。
今までこの正義感に結構振り回される事があって困っていたんですよね。
でもこの正体が見えてきたので、そうわかれば自分自身との対話です。
何を考え、どう感じ、どう結論づけるか。
これからいろいろ対話をしてみたいですね。
今日のポイント
以上、僕自身の正義感について感じた話でした。
どんな感情も起きるのは自分自身です。
外的要因はあくまでも要因。トリガーにしか過ぎません。
感情を起こしている自分といかに対話するか。
それが鍵ですね。
久々に大きい自分の中の塊との対話です。
しっかりと対話して一皮むけようと思います。
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