今回は先日の誕生日を経て感じたことを書いてみたいと思います。
お祝いありがとうございます!
それではいってみましょう!
誕生日いろいろプレゼントをいただきました!ありがとうございます!
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
誕生日のお祝いありがとうございました。
プレゼントありがとうございます!お礼申し上げます!
先週、誕生日の報告と欲しいものリスト公開をしました。
すると、ありがたいことにいろいろプレゼントいただけました。
いただいた方への個々のお礼は申し上げましたが、宛名不明のプレゼントもありましたので改めてお礼申し上げます。
ありがとうございます!
今年、こうやって誕生日を祝っていただきました。非常にうれしいです。
僕にとっての誕生日
僕にとって誕生日はたんたんと過ぎていく印象が強い日でした。
昔から何特にやってもらった記憶もなく、親兄弟すら気にもとめない。
ましてや、誕生日なんてその日から何かが変わるわけではない。
単に年齢という数値がカウントアップする日。
なので形式的には祝ってもらってもどこかむなしい。
僕の中でそんな印象なんですよね。この感情は多分自分の肯定感の低さからくるモノだと思います。
祝ってもらう事のありがたさ
今回メッセージを含めいろいろな方から祝っていただきました。
純粋に祝っていただけることはうれしいっすね。
数年前にも友人たちに祝ってもらった事がありました。その時も垣根なくすごくうれしかったです。
祝ってもらう事によって、自分はあってもいい。祝われてもいいんだなと再認識する事ができました。
さらに自己肯定感を高める切っ掛けになったと思います。
欲しいものリスト公開について思うこと
欲しいものリスト公開するとき「存在給の証明」と僕は言っています。
なのでこの公開は単なるプレゼントくれくれでないと考えます。
「存在給の証明」だけでなくもう一つ意味合いがあります。
それは、目に見える形で祝ってもらう事により「他力」を使った「自分肯定感を高める為の補足行動」ではないのかなと。
誰かに祝ってもらう事により、なかなか自分を認められない人が「自分自身を認める」切っ掛けになるはずです。
ただ、注意しなければいけないのは「欲しいものリスト」をもらう事が目的ではありません。
そこに焦点を当ててしまえば、プレゼントがもらえるもらえないで価値を決めてしまいます。
あくまで補足行動と言うことを念頭に置いておいてもらえるといいと思います。
まぁ本当であれば自分で自分を認めて自己肯定感を高めて行く姿が理想なんですけどね。
そうなかなかうまくできないのが現実だったりします。
なので、こういうモノを使ってうまく自分を誘導するのが大切ですよね。
今日の一言
今までは単に祝われたからそれで終わりでした。
でも、今はいろいろ学んでいます。このお祝いの定義づけも以前に比べて変化しました。
これを活かしてもっと自分を受容していくようつとめていこうと思います。
今後ともよろしくお願いします!
まだまだお祝い歓迎です!
貪欲にお祝いを歓迎します!
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存在給の参考になる本
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