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誰かと「死」という別れを経験するとぽっかり心が空いた感じになります。
僕はつい先日祖母と別れの時を迎えました。
91歳だったおばあちゃんは自分の人生を生ききったはず。
僕はこの別れとどう向き合えば良いのか?
いろいろ考えたことをかいてみました。
祖母との別れを経て思うこと
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
今回は思った事をつらつらとかきだしてみました。
突然の訃報
11/1。朝、弟から連絡がきた。
普段ならあり得ない時間の電話。
そこで告げられたのが祖母の訃報。
あまりにも唐突。なにが起きているのかわからず、パニック状態。
とりあえず母に連絡をして真偽を確認した。
母からでた一言は朝方に祖母が亡くなって居たという話だけ。
何か力が抜けていく感じがした。
僕の祖母とはどんな人?
僕の祖母は今年で91歳。
100歳まで生きると豪語していた人です。
どんな人かというと、
元気でユーモアあふれ可愛らしい。
そして、何よりも食べることが大好きで、振る舞う事も大好き。
たまに電話すると僕に「好きなことを諦めずやれ」
なんて言葉をかけてくれる優しい人だった。
僕にとってみれば「the おばあちゃん」的な存在だった。
僕と死について
僕が近しい人の死を体験するのは4度目。
父方の祖母、父、母方の父。そして、今回の祖母。
祖母の前はいずれも15以上前の話。
急に訪れた別れにどう向き合っていいかわからなかった。
でも、祖母は年齢が年齢だっただけになんとなく覚悟みたいな物はあった。
いつやってきてもおかしくない。
予感めいた物は実はあった。
ただ、実際に起きてしまうとどうにもならない。
実家に急いで帰ってはみた物の整理がつかずじっとしているだけ。
父の死を体験したときもそうだ。
ただ、何もできない自分がいた。
祖母の別れとの向き合い方
何もできない自分がしても頭だけは働いている。
自分がどう祖母の死と向き合えば良いか。
ひたすらに考えていた。
- 悲しめば良いのか?
- 辛くなれば良いのか?
いや、どれも違う。
出た結果は旅立ちを見守ってあげよう。
91歳まで生きたんだからやることはやってきたはず。
そんなおばあちゃんの旅立ちを見守ってあげよう。
明らかに以前経験した別れとは違う。
以前は逃げることで「死」という別れから目を背けていた。
でも今はしっかりと向き合って見よう。
そう感じて、通夜や葬儀を迎える事ができた。
次に来る「別れ」
多かれ少なかれ人は死に向かって進んでいる。
今回は祖母だったが次は誰かわからない。
もっと身近な人かも知れないし、そうでないかもしれない。
仮に最愛の人が旅立ったとき僕は進むことができるのか?
今までは背いてきた「別れ」に真摯向き合わねばならない。
これは課題の一つです。
何かを残せるか?
また、誰かとの別れだけでない。
僕も来年で40歳だ。
遅かれ早かれいつかは僕自身に「死」がやってくるはず。
その時、何を残せたと考える事ができるのか?
何かを残せる人間になっているか?
それもこれからの課題。
何かを残す人間になりたい。
今はそう切に願う。
今日のポイント
今回は祖母との別れを経て今自分が考えている事をまとめてみました。
別れっていつかはやってきます。
別れの時は悲しくても、残された人はそれでも生きています。
これからも僕は自分の道を進んでいくはずです。
そんな時に祖母の一言を思い出しながら進むんだろうなぁ
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