自己内観とは自分の心をひたすらにみて自分について理解を深めること。
また、自己否定とは自分自身を否定すること。
僕にとってこの二つは1つのセットになっていました。
そして、なにより僕が「自己否定を好きだった」と言うことです。
僕が自己否定をやめられなかった2つ理由
こんにちは、あまかず(@amakazusan)です。
今回はめちゃくちゃ大きい気づきがあったので書いてみました
自己内観と自己否定の罠に気づかされた
以前から僕はこんなことを言われていました。
「あまかずさんは自己内観が上手だね」
僕自身も気づかなかった事ですが、
ここ3年間ずっと自己内観をやり続けてきました。
なぜそうしてきたのかというと、
自分が落ち込んだりネガティブになってしまうのは「自己否定」が原因だと考えていたからです。
この自己否定が無ければもっと生きやすくなる。
なので、生きづらさの原因である「自己否定」を解決する為に自己内観をしてきました。
幸いいろいろな自己否定が見つかりそれを解決したことにより、
かなり生きるのが楽になってきたんですよね。
今までのような生きづらさがなくなってきました。
しかし、僕の中では一向に自己否定があり続ける状態が続いていました。
内観しても内観してもきりが無い。
毎日、自己内観して自己否定と向き合い続けて聞きました。
このモグラたたきのようなこの現象。
メンターの1人である大塚あやこさんに一言いわれて解決しました。
「あまかずさん、自己否定好きだよね?」
この一言を言われた瞬間。
僕の中ではビカビカという電撃のようなショックと
同時に確かにそうだという納得めいたものがありました。
そう。実は、僕「自己否定」が好きだったんです。
僕が「自己否定」を好きな理由
あれほど僕自身嫌ってきた「自己否定」。
これがなぜ好きなのか?
普通の人ならわからないと思います。
しかし、僕にはすぐに好きな理由がわかりました。
しかも、2つほどありました。
理由その1。
「内観が得意だから自己否定が無くなったら内観出来なくなる」
これです。
僕の強みでもある自己内観。しかし、これは自己否定が無くなったらする必要がありません。
従って、自己内観をする為には自己否定があり続けなければいけない。
まさに必要悪なんです。
さとうみつろうさんの「悪魔とのおしゃべり」でもありました。
正義がいるから悪がいつづける。まさにこれ。
「自己内観」という正義を執行し続けるには、「自己否定」という悪が存在しなければならない。
自己否定が無くなれば自己内観の存在意義がなくなってしまうんですよね。
もう一つの理由はこれ。
「自己否定を自己内観し続ければ行動しなくてすむ」
自己否定と自己内観を行動しない理由に使ってしまっているんです。
どういう構造かというと、自己否定を内観する事で自分への気づきは深まる。
でも、現実世界での行動は何もしてないですよね。自己完結なんです。
自己憐憫で自分の世界に酔ってる。悲劇のヒロイン症候群みたいな感じ。
全然なにも始めていないし何も始まっていない。
行動するしかないのに。
「自己否定」と「自己内観」の輪を断つ
「自己否定」はよくないといわれています。
一般的に確かにそれは間違いありません。
しかし、僕にとって自己否定は自己内観とセットでした。
両方あることで自分を深める事ができたんですよね。
ただ、今の僕にとって「自己内観」と「自己否定」だけをしている事が良策なのか?
これは否です。
僕はとっくに自分の事を癒やし行動してさっさと飛躍しなければならない。
それにはこの「自己内観」と「自己否定」をし続けるという輪を断ち切るしかない。
この連鎖をとめて動き出すしかないんです。
今まで僕は自己内観は自己否定を解決する為にやってきました。
まずはそれをやめる。
やめるために必要なのが「許す」こと。
「許す」ことで「自己否定のための自己内観」ではなく「自分と繋がるための自己内観」にする。
そうすることで今まで拒絶していた「自己否定する自分」ですら許すことができるはずです。
「許す」という受け入れる事で、こ自己内観は本来の自分への気づきに変わっていくことでしょう。
そして、今はとにかくやるしかない。
何事も行動に移していく。ただそれだけです。
今日のポイント
以上、僕の自己内観と自己否定の関係についてでした。
僕にとって自己内観とは心の支えの一つでした。
誰よりも出来る、誰よりも深く出来るからこそ落とし穴にはまっていました。
その落とし穴に気づけたのであとはそこを埋めて進むだけです。
いろいろやりたい事はあるので一つずつこなしていきたいですね。
僕と自己否定の闘い記事たち
さとうみつろうさんの本
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